德森和寛さん

德森和寛さん

環境負荷を抑えた生活の実践。人口約300人の色川地区で製材業を営み、他給自足の持続可能な暮らしのあり方を探求する。

広島県出身、名古屋で育った德森和寛さんは、大学4年生の時に偶然迷い込むようにして色川地区を訪れました。それを機に何度か足を運び、色川で自給自足の生活を送る人々と関わるなかで移住を決意。現在は「德森木材」の屋号で製材業を主軸として営みつつ、地球環境になるべく負荷をかけない「自分にとっての正しい生き方」を模索しながら暮らしています。

偶然迷い込んだ集落で感じた、自分が求める生き方のヒント。

-色川地区を訪れ、住むことになった経緯を教えてください。

大学4年生の就職活動の時期に、そもそも就活自体が自分の肌に合わないと感じたんです。3月、4月と少しやってみたものの、上手くいかず辞めてしまいました。5月頃になって「この先どうしようか」と考えた時、とりあえず車で紀州の方を回ってみようと思い立ちました。

もともと環境問題にも興味があって、消費メインの経済活動ではなく地に足がついた自給的な暮らし、生産メインの暮らしが、自分にとっての正しい生き方なのではないかと漠然と考えていたんです。そんな時に、たまたま古座川町から抜ける細い山道に迷い込んでしまって、たどり着いたのが色川の一番奥の集落でした。

棚田を見下ろす風景を見た時に、「あ、こんなところに人が住んでいるんだ」と驚きました。広島や名古屋の街中で育った自分からすると、平らな土地に家が並んでいるのが当たり前だったんです。なので、斜面に家がポツポツとある光景は「なんでこんなところに人が住めているんだ」と思うほど、わけがわからない感覚でした。でも同時に、ここに自分が求めているヒントがあるかもしれないと感じたんです。

-そこからすぐに移住を決めたのですか?

その後に色川で地域おこし協力隊を募集している記事を見つけて、まずはその話を聞きにもう一度色川へ行きました。そこで、実際に自給的な暮らしを実践している人たちの暮らしを目にし、何度か足を運んで、数日から長い時は2週間ほど滞在させてもらうなかで、「こうやって生きていけるんだな」という実感が湧きました。

それなら地域おこし協力隊じゃなくてもいいから、気楽に移住しちゃおうと思えたんです。親にも話しましたが、特に否定もされなかったので、移住のハードルはあまり感じなかったですね。

地域の木を使い、この土地で暮らすための素材を作る「德森木材」としての役割。

-現在、德森さんにとってどのくらい納得感のある生活ができているのでしょうか?

まず、うちの家はガスがなくて料理もお風呂も薪で火を起こしているんです。水も基本的には上下水道の生活インフラに依存せず、山水で生活しているので、その面では「自分でやれている」という感覚があります。ただ、食べ物の自給度合いは2、3割くらいですね。

あと(馬力が必要な)一人で何でもかんでもやろうとする「自給自足」よりも、「他給自足」という方が持続可能な形なんじゃないかと思っています。生活に必要なすべてを自分でまかなうのではなく、自給的に生活している人同士がそれぞれの役割を持って、色川くらいの集落単位の小さな経済圏で、互いに補い合いながら回していくような暮らし方ができればいいのかなと。その方が、「個」というより「集落」としての基礎力や耐力が上がっていくようなイメージがあります。

-「德森木材」では、どのようなことをされているのですか?

製材や建築・木工をしています。移住してから縁があって、丸太をカットできる大きな製材機を譲り受けました。それを集落内の少し離れた場所に設置していて、地域に生えている木を角材や板材に加工しています。

食べ物の自給自足はよく聞きますが、僕は「住宅」や「建物」の自給に興味があるんです。色川にも大工さんが二人いたり、自宅のちょっとした修理くらいであれば自力で済ませてしまう人たちはいますが、製材や建築を生業にしている人は多くありません。

管理が行き届かず放置林になっているような周辺の木を使って、地域の人がここで暮らしていくための素材を生産する。そういった自給の仕方も一つの路線としてあると思うので、そこの役割を担っていきたいと考えています。

德森さんが廃材を使って建てた工房

色川で生きる姿を発信し、この先も人が住み続けられる地域へ。

-環境問題への意識や、現在の自給的な暮らしを選んだ背景には何があったのですか?

まだ明確な答えは出ていないんですが、内省してみると根底には「正しいことをしたい」という強い正義感があるのだと思います。高校生くらいの頃に環境問題について学んだ際、自分たちにとっての家である地球を、人間が自ら汚して生きづらくしている状況が、どうしても不思議だったんです。

もう少しいうと、中学生の頃はクラスに勉強もスポーツも自分よりできる人がたくさんいるなかで、自分に対する社会的不必要感みたいなものを感じていました。自分の存在の意義を感じながら力を発揮できる対象を求めるなかで、「これなら人より頑張れるかも」と思えたのが、環境問題の分野だったのかもしれません。

また、都会での消費生活は、僕にとって罪を重ねているような感覚でした。ずっと「これじゃない」という思いを抱えて生きることは、精神的にも保たれないと思い、自分の危機回避としてもまずは生活を安全な場所へ移すことにしました。

-色川で、特に影響を受けたことや学びになったことはなんですか?

「気楽に生きる」というマインドセットを身につけられたことが、一番大きかったかもしれないです。金銭的に多くの収入があるわけではありませんが、色川の人たちには「なんとかなる」という空気感があります。そんな人たちと暮らすうちに、「無理してお金を稼がなくても生きていけそう」と思えるようになったことが、生きやすさに繋がりました。

僕は基本的に安定志向なんです。ただ、お金があるだけの生活が安定だとは僕には思えません。多くの人は僕の暮らしの方が不安定だと思うかもしれませんが、食べ物と水、燃料が身近にある今の状態こそ「究極の安定」だと思っています。

-これからの展望と、德森さんが伝えたいことについて教えてください。

今の最終目標は「自分が死ぬ時にこの色川という山里が、まだ人が住める状態であること」です。保育園から中学校の子どもたちが合わせて30人くらいいると思いますが、現時点で色川にいる20代は僕を含めて7人くらい。村の最後尾を走っているなかで、このまま20年、30年と人口が減り続ければ、どこかのタイミングでこの地域は持ちこたえられなくなります。

そこを踏ん張るためには、自分にできることをやるしかない。そう思って、発信や仲間集めなどをしています。発信といっても「ここの暮らしは楽しいよ」とかではなく、本来は危機感を伝えたいんです。でも、警鐘を鳴らすような伝え方をされるとうるさく感じますよね。だから「自分はこう暮らしている」という姿を淡々と開示することが、一番誠実な発信の仕方なのかなと思っています。結婚して、もうすぐ子どもが生まれてくるというなかで、あらためて整合性の取り方に悩むこともありますが、目標を実現できるように取り組んでいきたいと思います。

・Webサイト:オープンビレッジ色川
・YouTube:トクモリカズヒロ
・Instagram:トクモリカズヒロ

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