丸正酢醸造元|古式醸造で育てる究極のお酢

丸正酢醸造元|古式醸造で育てる究極のお酢

お酢/地元の産品/伝統

那智霊山の伏流水を用い、古式醸造で育てる究極の酢。頑固一徹、職人の意地が世界に認められるお酢を作ります。

明治12年(1879年)に創業の合名会社丸正酢醸造元には、深い歴史があります。先代より伝統の木桶での酢作りを今も守り続けている現代表・小坂和子さんにお話を伺いました。

木桶での酢作りを今も続けている

創業者の先代は、お友達と一緒に熊野古道大門坂にて酢作りを始め、その後明治12年に現在社屋がある那智勝浦・天満にて独立創業されたそうです。仕込み蔵の隣にあるお店の中は、お酢の良い香りがほのかに漂い、そのきつすぎない少し甘みのある香りが特徴的です。それもそのはず。すぐ横にある大きな仕込み蔵では、それぞれ名前が付けられた見上げるほど大きな木桶で酢作りが行われていました。想像よりもはるかに大きな木桶は、なんと100年保つそう。先代からずっと使っている、愛着のあるものですがデメリットとしてはメンテナンスがすごく大変なんだとか。それから、木桶は使い続けているとだんだんと漏れるようになってしまうこと、酢作りの際に5%蒸発してしまうのも悩ましいところ。FRPやポリタンクではその心配はないけれど、やはり味が一番大切なのでそういった効率よりも伝統的な木桶を使うことを尊重しているそう。それに、菌にとって最良なのは木桶。先代がFRP、ポリタンク、木桶それぞれ仕込んで味と香りを確かめたところ、やはり木桶に勝るものはないという結論に至りました。そんな貴重な木桶ですが、残念なことにもう作り手さんがだいぶ減ってしまったそう。このままだと木桶が世の中からなくなってしまう、、、と危惧した四国のお醤油やさんが木桶復活プロジェクトを始め、今はだいぶ波に乗っているそうです。歴史と伝統のある木桶をこれからも守り続けてほしいですね。

美味しいお酢は古式醸造

お酢は発酵食品です。菌が命のお酢作りは、仕込み蔵に並ぶ12の桶で行われています。その桶は、貴重な熊野杉の巨木の芯の部分で作られたもの。呼吸し続ける木の桶は、酢作りに欠かせない菌が住みやすい好環境なんだそう。那智の滝と同じ水源の熊野山系の伏流水が蔵の井戸に湧いており、一年中水温が16度と一定で、試飲させていただいたその水はとてもまろやかな口あたりの良い軟水でした。お酢の原材料である熊野地方で育った低農薬米と熊野山系の綺麗な水。美味しいお酢作りには欠かせないこの2つが手に入る豊かで恵まれた環境であることも、ここまで長くお酢作りを続けていくことができた大きな一因であるそうです。

法螺貝を吹くのは大切な儀式の一つ

直面した危機

一度目の危機は、第二次世界大戦の時です。配給制のため、十分な材料が手元にない状態が続きお酢作りができませんでした。長く樽を空けてしまったため、菌が死んでしまったのか、発酵しなくなってしまいます。しかし、先代は諦めずに色々なところに菌を分けてもらいに行き、無事にお酢作りができるようになりました。そんな先代のポリシーで、自分たちのできる範囲で品質を守ったお酢作りと販売を続けていきたいと思っており、そこまで範囲を広げることは考えていませんでした。そのため、もともと地元の取引先に卸すお酢しか作っていなかったのですが、大型スーパーの台頭により小売店が減り、そして安い大量生産のお酢を使う店舗も増え、その当時800店舗あった地元の取引先が80店舗まで落ち込んだそう。それは時代の大量生産の波でした。一度ガタンと売り上げが落ち、もうダメかなと先代はお店を畳むことを考えたそうですが、その前にできることをやってからにしよう、と思い取引先一軒一軒を回って説得。一度落ち込んだ売り上げも、下げ止まって持ち直したそうです。しかし、地元の取引先しかないこのままの状況ではいずれ立ち行かなくなるから、手を広げて外に売りに行こうということになりました。デパートの物産展が全盛期だったため、売り上手の先代のお母様が大活躍をし、大成功を納め様々な繋がりができ、商工会などにも積極的に参加したそう。時代の流れに乗っていったんですね。そんな内助の功のおかげもあり、テレビの取材や雑誌の取材が徐々に増え、2004年に「どっちの料理ショー」という人気番組に出た時は電話がなりやまないほどものすごい反響だったそう。そうして全国進出をするきっかけになり、通販での販売も始めました。最近は海外、国内半々くらいで販売しているとのこと。「地元しか見ていなかったら、いずれつぶれていたと思う。」と和子さん。今でも先代、そしてお母様の先見の明には驚かされるそう。「今販売している角瓶を始めた当初はうちしか角瓶で売り出していなかったから、すごく目立った。考案したのは父なんだけど、センスがいいなと思いました」丸正酢さんのお酢が入った角瓶は種類がとても多く、おしゃれなデザインなのでキッチンに飾っても良いインテリアになりますね。そして、様々な危機に直面しながらも決して諦めず、常に前を向き時代を見通してお酢作りを守り続けた先代の機転と努力には本当に驚かされます。

お酢を入れている角瓶はお洒落なデザイン

世界進出のきっかけは?

マクロビオティックの第一人者である串道夫先生の依頼で1980年代に欧米諸国との取引が始まりました。当時は欧米は空前のマクロビブームだったため、丸正酢にもたくさんの外国人のお客様が見学に訪れたそうです。そんな中、2007年に和子さんに大きな転機が訪れます。きっかけはフランスから届いた1枚のFAX。フランス在住の日本人夫妻から送られてきたFAXは、日本のセレクトショップを立ち上げたいから、出店してくれないかとの問い合わせでした。フランスに20年以上住んでいるご夫妻は、今パリにある日本の物を置いているお店には大企業の製品しかなく、もっと日本製のセンスの良い小売店のクオリティの高いものを置いたセレクトショップを作りたいと考えていたそう。熱い思いと丁寧な説明が実り、ヨーロッパとのご縁が始まりました。同年、モンドセレクションの受賞でベルギーに行った際に、現地で日本人のお友達ができ、個人で仲買をするのでぜひお酢を卸してほしいと依頼されました。ベルギー内のレストランやショップに置いてもらうようになり、どんどん世界が広がっていきます。またそのお友達は大切なビジネスパートナーになり、今でも海外のあちこちに一緒に行っているそう。そしてそこからまた広がっていき、東京の商社から連絡があり、今度はイタリアに繋がりができて輸出が始まりました。イタリアは言わずと知れた美食の国。そのため、保守的な一面があり最初はなかなか受け入れられなかったそうですが、和子さんも足繫く通い、今ではレストランやお店など多岐に渡って商品を置いてもらっているそう。スペインへ輸出するきっかけは、シンガポールで和歌山の物産展示会があり、出展した際にスペイン人の方とお友達になり、日本語を話すとても親日家で、丸正酢のお酢に惚れ込んだ彼にスペインのディストリビューターになってもらっている。イギリスとのご縁は、在英でわさびを作っている日本人の方がいて、その方から問い合わせがありイギリスに飛んで商談をし、お願いする運びになったそう。お話を伺ってみると、なんとも素敵なご縁で繋がっていますね。今後の展望としては、アメリカ、ハワイ、オーストラリア、アジアはシンガポール、台湾、中国を考えており、中東のドバイ、イスラエル、サウジアラビアなども視野に入れているそう。やはり大切なのは現地のディストリビューターを見つけること。しかしながら、ご縁とタイミングが大切だと思っているので焦らず時期を待つそう。今後も丸正酢の美味しい歴史のあるお酢が海外で広まっていくのかと思うとワクワクしますね。

店舗情報

Information

  • 合名会社 丸正酢醸造元

  • 店舗情報

    月~金 9時から17時
    土日 定休

  • 電話

    0735-52-0038

  • メール

    marusho-vinegar.jp

  • アクセス

    649-5331 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町天満271

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