後呂孝哉

後呂孝哉

「熊野の魅力を世界に広げる」 ブレない想いと行動が実現する 町の課題をも解決する「まち宿プロジェクト」

紀伊勝浦駅前でゲストハウスやホテルなどを経営する後呂孝哉さん。「ゴロちゃん」の愛称で親しまれ、飲食店の共同経営や、NHKリポーターまでこなすマルチプレイヤー。自分のやりたいことと、地元に貢献していきたい気持ち、それらの原点と今後の展望までのお話を伺いました。

「出会い」や「交流」がその町の印象を決める、と知った日本一周のた日本一周の旅

―まず、どうしてご出身の「新宮市」ではなくて、「那智勝浦町」で事業をしようと思ったのですか?

僕の中では「熊野」っていう「エリア」で見てるので、言っちゃえば別に「新宮」でも「勝浦」でも、どっちでもよかったんですよ。観光客から見たら、別に「新宮だから」、「勝浦だから」じゃなくて、多分「熊野」っていう「エリア」で見てるだろうなと。で、なんで勝浦を選んだかいうと、やっぱり観光コンテンツが強いからなんですよね。「温泉」と「マグロ」と「世界遺産」があって。実際、宿泊っていうとこで見ても、当時和歌山県が発表している観光データは新宮より勝浦の方が7倍も宿泊客が多いって分かったので、「そりゃもう、勝浦だな!」って。さらにインバウンドも右肩上がりに増えていたんですけど、当時勝浦にゲストハウスが少なかったんですよ。新宮の7倍観光客が宿泊しているけど、ゲストハウスっていうターゲット層はあまり開拓されてないなって思ったので。そこを狙いにいったっていう感じですね。

―では、その「ゲストハウス」をこの地域で開こうと思ったきっかけは何だったんですか?

地元に帰ってきた時に「熊野の魅力を世界に広げる」っていう思いがありました。なので「何をしたらこの地域の魅力が世界に広がるか」って考えたときに、自分が広めるより、来てくれた人がこの地域のファンになってくれて、「熊野すごい良かったよ!」って周りに広げてもらう方が早い、って思ったんです。地元に帰ってくる前に日本一周の旅をしたんですけど、よく「どこ良かった?」って聞かれました。そのときに僕が答える「ここ良かったよ!」っていう、「ここ」の場所が全然観光地じゃなくて。「その日泊まった宿で、こういう出会いがあって、こういう交流があってすごい楽しかった。だからその町が好き!」ってなってて。だからその町での「出会い」とか「交流」がその町のことを印象付けるんだな、と思って。そういう「出会い、交流が良かったからこの町が好き。だから熊野がおすすめだよ。」って言ってもらうには、ゲストハウスがまさにそういう場所だったんですよね。なので、この地域に「ゲストハウス」っていう機能が必要だと思って、まずはゲストハウスを始めようと思いました。

―そんなゲストハウスを開こうと思うきっかけにつながる日本一周の旅ですが、羽織袴を着て行かれたとか。その旅についてお話いただけますか?

そうなんです。羽織袴も一つのコミュニケーションツールと思っていて。着物を着て旅すると普通の旅では起こらない「何か」が起こるんですよ。例えば、いきなりエレベーターで、「なんで羽織袴なんですか?」って声かけられて、「こういう格好で旅してるんですよ~」って言ったら、「頑張ってくださいね~」って。そういった些細な一言、コミュニケーション、普通エレベーターとかじゃ起こらないじゃないですか。普通に旅していたら起こらないことがいっぱい起こるんですよね。それが面白いな~っていうのはありましたね。

半年ぐらい旅をしてたんですけど、よく「どこから来たんですか?」って言われて、「熊野」って言っても誰も知らなかったんですよ。「どこそれ?」って。熊野って全国の人に知られていないんだって、すごいショックで。僕は熊野が地元だからこの地域やこの地域に住んでいる方が好きで、この地域を誇りに思っていて、みんなに知ってほしいという思いもあります。「熊野楽しいよ!みんな来てね!」という思いが「熊野の魅力を世界に広げたい」と思った根源ですね。

1度那智勝浦町を飛び出して気がついた地元の魅力

―大学は東京で通われていたんですよね?東京での暮らしはいかがでしたか?

神奈川に2年と、東京の2年暮らしていたんですけど、めちゃめちゃ楽しかったですよ!やっぱり、ここ(地元)にいるだけじゃ視野が狭いんだなって。高校生までずっとこの地域しか知らなかったので。やっぱ外に出てみて、「こんなに面白い人いるんだ!」「こんなことできるんだ!」とか。いろんな人に出会ったのは、東京だったからかなって感じですね。楽しくて良かったんですけど、一方で「地元ってやっぱりすごい良い場所だったんだ」と熊野に対する思いが日に日に強くなっていきましたね。なので、東京にずっと住もうとは全く思ってなかったです。いつか帰ってこようとその時から思っていましたね。

高校を出るまでは、地元が田舎だったことがすごい嫌で、早く都会で生活したいって思っていたんです。地元が田舎だから面白くないと思っていて、早く出て行きたい気持ちが強かったんですけど、いざ外に出てみたら地元って自然も食も豊かですごい良い場所だったんだなって気づいたのは、やっぱり一度外に出たからですね。

―実際に、「よし帰ろう!」っていう、Uターンするきっかけは何だったんですか?

衰退していくこの地域を、なんとかしたいっていう思いは前からあったんですけど、自分の中で「20代のうちに起業したい!」という目標があって。じゃあ、「起業するならどこだ?」って考えた時に、他の地域は僕じゃなくてもできるし、「熊野の魅力を広げたい」って思いもある。だったら地元に帰って起業だなって思って。なので20代のうちに帰ってきて起業しようと思ったのがきっかけです。
ちなみに、あと2週間で30歳になるっていうギリギリ20代で起業しました。(笑)。

町の魅力を感じてもらうために構想している「まち宿プロジェクト」

様々な活動をされていますが、今後の展望というか、こんなことをしていきたいなっていうものはありますか?

元々「この地域の魅力を広げるためにはまずはゲストハウスが必要だ」というところから始まっているので、やりたいことはゲストハウスだけじゃないんです。「熊野の魅力を世界に広げる」ことをやりたいので、引き続きそれにあったこと、つまり熊野の魅力を世界に広げるための活動、それに関わることをやっていきたいと思っています。その中で今考えてるのは、町全体をホテルと見立てるっていう「まち宿プロジェクト」という構想があるんですよ。この考え方はイタリアが発祥で、イタリア語ではアルベルコ・ディフーゾ、日本語では町分散型ホテルとも言います。町全体をホテルと見立てることによって、町中の飲食店はホテルのダイニング、町中の日帰り温泉はホテルのお風呂、と捉えるんです。実際の宿が提供するのは基本的には寝る場所と受付。町の玄関口の役割を担って、あとは町に出て行ってもらう。このように宿泊客に町全体を回遊してもらうことで地域全体にお金が落ちて地域の経済も活性化することができると思っています。

町全体をホテルと見立てるなら、宿泊客のお部屋も町中にあるという考えで、現在町中にお部屋を増やしています。これからの展望は、チェックインはWhyKumanoにして、町中の空き家、空き店舗を活用してお部屋を作っていきたいです。そうすることで町中の空き家・空き店舗増加など地域課題にも取り組めますし、町全体もより面白くなります。那智勝浦町はコンパクトな町なので、歩いて行ける範囲に生活に必要なものが大体揃ってるんですよ。生まぐろの水揚げ日本一、和歌山最多の源泉数がある南紀勝浦温泉などコンテンツも豊富にあるので、僕らは寝る場所だけ準備すれば、あとは町中で思いっきり満足いただける。そしてこの地域を好きになってもらって、熊野の魅力も世界に広がる。そんなことをやっていきたいですね。

―では勝浦の好きなところは?

この地域に住んでて思うのは、この地域の「人」が好きだなと思っています。町分散型ホテルというコンセプトの中で、宿泊客に町中を回遊してほしいという思いがあるので。町の人たちと出会って交流してもらえたらと思っています。ホテルで過ごしていると町の人に会えないので、どんどん外に行ってもらって、町の人に会ってもらって、地域の人たちと交流することで、「いい町だなぁ」とこの地域のファンになってもらえたら嬉しいです。

誰かの日常を知ることが旅。暮らしを知ることが町の魅力の発見に。

―後呂さんにとって、「旅」とは?

大学生から旅の魅力にハマって、学生時代は世界26カ国を旅しました。その中で僕にとっての旅とは、「誰かの日常にお邪魔すること」だなと思ったんです。例えば、勝浦に住んでいる人からすれば、マグロや温泉が日常の一部なので、これが普通と感じています。でも地域外の人からすれば、マグロも温泉も普通では無い人が多い。つまり誰かにとっては非日常なんです。自分にとっての非日常は、誰かにとっての日常。なので、旅とは誰かの日常にお邪魔することなんだなと思いました。

この地域の日常で、観光客が「何これ?!」となることがあります。例えば、勝浦は町中にマグロの無人販売あるんですけど、この地域の人にとっては日常なんです。観光客の方も「マグロの無人販売機なんて聞いたことない!」、「面白い!」ってなっています。自分の中での非日常に出会うことが旅の楽しさの一つであって、そういった情報を知れる場所としてゲストハウスという機能は町に必要だなと思います。

―最後に、あとこんなこと、知って欲しいっていうようなことってありますか?

この地域って1回来ただけじゃ全然伝わらないと思うんです。1回来たら、そこで新しい魅力に出会って。

次に来たら、また新しい発見があって、また次来よう!となって。その繰り返しだなと思っています。でもこの地域はどこからもアクセスが悪い(東京から最遠地とも言われる)ので、観光地を見るだけならもう来てもらえないかもしれない。もっとこの地域の日常を知ってもらえると、何か自分に魅力に感じる発見があると思うんですよ。それを見つけてこの地域のファンになってくれて、1回だけじゃなくて、今後も2回〜3回と、もしくは、年に1回とかっていう感じに来てもらえるようになるんじゃないかなあと思っています。なので観光だけじゃない地域の暮らしや日常の目線で見てもらえたらなぁと思います。

あと、個人的には逆に何も知らずに来てほしいです。「いろいろ調べたけどよくわからんかったから、何も予定決めずに来ました」みたいな感じの人の方が、僕のオススメを教えて地域のファンになってもらう自信があるので。笑

―ありがとうございました!後呂さんの今後の展望、楽しみにしています!

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