福田萌夏さん

福田萌夏さん

自分の時間を求めて選んだのは、「生きている」を感じられる場所。1200年以上の歴史を紡ぐお寺で働き、余白のある人たちと暮らす。

株式会社al stay in kumanoでお寺や宿泊の仕事に携わっている福田萌夏さん。大学生までを神奈川県で過ごし、在学中に那智勝浦町で開催されたビジネスプログラムに参加。卒業後は就職先の東京のベンチャー企業を半年ほどで退職し、2021年11月に移住しました。仕事も、暮らしも、これからのことも、一つひとつに丁寧に向き合い自分で決める。そんな真っ直ぐさや、人柄の良さが垣間見える福田さんのお話です。

自分が時間を過ごしたいと思える場所を自問自答。

-まず、那智勝浦町に移住することになった経緯を教えてください。

「武者修行」といって、2週間でビジネスを考える大学生向けのプログラムがあるんです。それに参加して大学4年生の年末年始に初めて那智勝浦町に来ました。そのときに、武者修行のファシリテーターの一人で、東京からひと月に一回くらい那智勝浦町の特に色川地区に遊びに来ている人がいて。地元の人たちと農業をしたり田舎での暮らしや時間の流れを体験するような企画を勝浦で学生向けにやっていたんです。その人に「次は3月にあるから来ない?」って武者修行中に誘われて、何かよくわからないまま「行きます!」って言ってまた那智勝浦に行くことになりました。

そのときにはもう東京のベンチャー企業への就職が決まっていました。でも勝浦に来たことで、私がやりたいことは就職先ではできないんじゃないかと思うようになって。3月にもう一度来たときに、自分は都会よりもこういう自然があふれた田舎で暮らしてみたい、時間を過ごしたいなと思い始めました。とはいえ、働いたわけでもないのに都会での仕事が嫌だっていうのも違うなと思ってそのまま就職してみました。

でもベンチャーだったのであまり自分の時間が持てず、仕事のほかに写真の活動も始めていたので、仕事のためだけに生きているわけじゃないし……っていう思いが徐々に増えていきました。自分の価値観とか考え方がベンチャーマインドじゃなかったんだと思います。その一方で、働き始めてからも勝浦には連休のたびに遊びに来ていました。都会での生活と、田舎に遊びに来たときの楽しさという対照的な時間を過ごす半年間が流れて、「自分はどっちにいたいの? もし明日死ぬとしたら、今どっちで時間を過ごしたいの?」と考えてみると勝浦だったんです。ぶっちゃけ言うと東京で就職する時に、一年で会社をやめて、お金貯めてバイクで日本一周したいなと思ってたんですよ。それで、日本一周するまでにどこで過ごしたいかとなったときに勝浦にしようと思いました。

-それまではずっと神奈川の実家に住んでいたということで、ご家族や友人などはどんな反応をしていましたか? 寂しかったり反対だったりはありましたか?

家族には移住を決めるちょっと前くらいに、「移住したいなぁ」ってボソッと言ってたんですよ。 だから実際に移住するって伝えたときも、ビックリされたり反対されたりした記憶はないんですよね。妹が二人いるんですけど、妹たちは寂しがってました。まあ親も表には出してないけど、初めて子どもが家を出るんでさすがに何か思っていたと思いますよ(笑)。友だちはビックリしてましたけど、「萌夏らしいね」って言われました。

那智勝浦町で過ごす、仕事も休日も充実した日常。

-那智勝浦町太田地区にある大泰寺の住職、西山十海(にしやまとうみ)さんが代表をされている株式会社al stay in kumanoのスタッフとして働いているそうですが、就職先はどのような流れで決まったのですか?

連休で遊びにきているときに、大泰寺に来ることも多くて。十海さんも、夏欧(なお)くんというもう一人のスタッフも、ずっと人手がほしいって言ってたんです。最初は冗談かなって思ってたんですけど、夏欧くんから結構本気のトーンで「一緒に働いてくれん?」という連絡がきて。そこで冗談じゃなかったんだって思って、大泰寺で働くことを本気で考えるようになりました。それで、順番を間違えたなって思うんですけど、前の職場に辞めるって伝えたあとに十海さんと夏欧くんに「会社辞めてきたんで働かせてください」って連絡して(笑)。ありがたいことに、いいよ、と言っていただけたので移住して就職することになりました。

-お寺の仕事というと職種としてなかなか珍しいと思うのですが、主にどんなことをしていますか?

大きく二つあって、お寺での仕事と民泊の運営をしています。お寺の方は、宿坊での宿泊とテントサウナ、あとキャンプの運営をメインでやっています。そのほかはお寺の掃除と、お寺で行事があったときの準備や片付け、写真撮影などをしています。薪わりとか、木を片付けたり、草刈りや草むしりをしたりとか、掃き掃除、テントサウナの準備など、細かいものまで言い始めたらきりがないんですけどね。

民泊の方は、古民家を改修した宿泊施設を太田周辺にいくつか持っているので、その管理をやっています。年末年始とかゴールデンウィークの繁忙期はほとんど満室でした。コロナ禍前は、ほぼインバウンドのお客さんだったみたいですが、今は海外の方は本当にたまに来られるくらいですね。

大泰寺本堂の隣にある宿泊用の別室

-いろんな業務があるんですね。大変そうですが、転職のきっかけの一つになっていた自分の時間は持てていますか?

めっちゃあります。休日は基本火曜と木曜なんですけど、何か予定入れたいとかがあれば変えられるので結構自由です。色川の田植えに行ったり、知り合いにお勧めしてもらったお店に行ってみたり。コンポスト作ったりとか。田舎暮らしをしつつ、都会にもたまに行きます。あとは、マストで写真を撮り続ける。みたいな感じですかね。写真を撮らなくなったら、自分調子おかしいなってなると思います。

写真についてはずっと考えていて、ちょっと哲学ぽいんですけど、このあいだ人と喋っていて自分のなかで少し納得したことがありました。カメラのシャッターは自分の感覚で切るんですけど、撮ったあとに「その瞬間にシャッターを切ったのはなんで?」「自分はどうしてその写真を撮りたいの?」とか「そもそもなぜ自分は写真を撮っているのか」と考えてみると、写真って自分の感覚的な部分と理性的な部分が交わるところにある気がしていて。でも「なんで撮ってるの?」って言われてもあんまりわからないし、「何を撮りたいの?」って言われても、まだその答えを出さなくてもいいんじゃないのかなと。感覚的に撮っていく中で、少しずつ見えてくるものなのではないかと思いながら写真を撮っています。

自分の人生だけでは完結しない、余白のある人たちの暮らし。

-神奈川から那智勝浦町に移住して、生活も大きく変わったのではないかと思います。実感している変化や地域の印象を教えてください。

移住する前の話ですけど、田舎ってわりと外の人を受け入れるのが苦手というイメージがあったんです。でも、移住する前から本当にみんなが他所から来ている私を受け入れてくれて、いろんな人がご飯に誘ったり家に招いたりしてくれて。固定概念が良い意味で覆されたのが印象でしたね。もともと移住する前に何回か遊びに来ていて、顔を知っている人たちがいたっていうのはあるにしても、いろんな人が喋ってくれるし、面倒みてくれるし、野菜くれるし、ありがたいなと思いながら過ごしています。

お寺の仕事をしていますけど、仕事でもプライベートでも地域のいろんな人たちと関わるので、お寺単体ではなく町全体として動いている感覚がすごくあります。それが面白いですね。移住して半年の人が言うことじゃないかもしれないですけど、東京で働いてたらないんじゃないって思う部分です。

あと、すごく余白のある人が多いなって思います。本業以外の部分で時間と心の余白があるというか。その余白のなかで、たとえばほかの人の畑を手伝ったり、引っ越しの手伝いをしたり、自分で農業やってみたりとか、それこそ写真を撮っている人がいたり、もしくは何もしないとか。そういう余白があるなって、すごく思っていて。それが魅力的だったんですよね。自分の生活だけで完結させるんじゃなくて、余白で人と交わったり、自然と交わったりする。そこが、その人の幅が広がったり深みを増してる理由なんじゃないのって思います。自分の生活としても、実感していますね。

東京の暮らしにも良いところはめっちゃあると思うんですよ。遊びに行きたいってなるし。常に新しいものが生まれて、人が常に進化や変化をしようとしている。だから、面白いイベントとかギャラリーとかがあるのは都会だし、そういう魅力は本当にあると思います。でも、どう表現すればいいかわからないんですけど、この地域の人たちって“生きてる”っていう感じがするんです。

本堂から少し丘を登ると見渡せる町の田園風景

-反対に、こういうところは不便だとかマイナスに感じる面はありますか?

どこに行くにしても交通費が高いし時間もかかります。東京に出るのはもちろんのこと、大阪も京都も遠い。三重も遠い。奈良も遠い。和歌山市ですら遠いっていう(笑)。高速道路を使ってもお金がかかるし、ガソリンもお金かかる、鉄道も高いみたいな。そこは腰が重くなるけど、だからこそ那智勝浦には魅力がいっぱい残ってるんだなって思います。いろんな人が来られるわけじゃないから。

-今後、仕事を通してどんなことをしていきたいですか? また、一年後は日本一周に行かれる予定ですか?

日本一周か世界一周かわからないですけど、それは選択肢の一つにはあります。でも絶対じゃないと思ってます。この町、旅してた人が多いんですよね。そういう人の考え方とか雰囲気とかがやっぱり好きだから、憧れます。でも最終的には流れとタイミングかなと思ってるんで。そうなったらそうなるし、ならなかったらならない。その選択を自分でできているんだったらいいかなと思っています。

せっかく自分が関東からこっちに来てるから、関東の人たちに町のことを知ってもらいたいというのはありますね。都会から人が来ることによって動いていく部分もあると思うし。都会で暮らしている人には、都会だけがすべてじゃないっていうのを感じてもらったり、知ってもらえる人が一人でも増えたら、自分が来た意味があるのかなと思いつつ。でも、まだ自分の暮らしとかの方が精一杯かな。お寺ももっと良くしたいし、地域の人にももっと来てほしい。外からの人も来てもらいたいですし、町のなかで人が動いてほしいですね。あとは写真を頑張ります。

-ありがとうございました。写真やお寺のお仕事など、福田さんの今後のご活動を応援しています!

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