子ども時代を過ごした思い出の地、太田へ18年ぶりのUターン。
-ご出身と、太田地区へ来られるまでの経緯を教えてください。
生まれたのは和歌山市で、父の仕事の関係で幼稚園の頃に家族で太田へ引っ越してきました。高校1年生の時にまた父の仕事の都合で和歌山市に戻ることになり、その後は高校、短大を経て板金会社に就職して14年ほど働きました。
配属は一般事務でしたが、会社の社長が「事務員であっても何でもさせる」という考えの方で、私もいろんなことに興味があったのでたくさん経験させてもらいました。フォークリフトを運転したり、トラックで配達に行ったり、時には神戸市辺りまで出張に行って機械の中を真っ黒になりながら掃除したり、帰りにみんなで一緒にご飯を食べたり。それがすごく楽しかったんです。
そこで培った「何でもやればできる」という度胸や、機械を扱うことへの抵抗のなさが、今の農業に繋がっている気がします。
転機が訪れたのは、ちょうど仕事に一区切りついたと感じていた時期でした。今度は主人の職場で「紀南地方の人手が足りない」という話があり、太田に実家が残っていたこともあって、私が「行こう行こう!」と主人の背中を押すような形でこちらに帰ってくることを決めました。実際に引っ越してきたのは、2011年の紀伊半島大水害から数ヶ月経った2012年1月頃です。

-長年離れていた場所での再スタート、実際はいかがでしたか?
最初は衣料品の買い物とか、ちょっとした用事で出かけるのにも距離があって不便さを感じることもありましたが、私はそれ以上に「帰ってきた」「さあ、これからここで何しようか」という気持ちの方か強かったですかね。ただ、主人は和歌山市出身でこちらには友達もおらず、田舎暮しも初めてだったので、何かと不便だったと思います。今は静かな田舎暮しを満喫しつつ、ときどき和歌山市の実家へ帰ることも楽しみにしているようです。
農機もノウハウもない、未経験からの米作り。
-どのように農業を始めたのですか?
両親が兼業農家だったのですが、和歌山市に帰る時に農業機械を全部売ってしまって、残っているのはトラクター1台だけでした。けれどそれだけではお米は作れないですし、機械を買うにも資金が必要で、農業も子どものころに少し手伝う程度だったのでノウハウもなく「さあ困ったな」と。そんな時に、これから農業を始めるという同年代の人に会ったんです。「機械は一式そろえたけど、扱える人がいなくて探している」というので、「私、働けるけど機械ないんです」といって一緒に農業をすることになりました。
その人の師匠に教わりながら3、4年ほど一緒に農業の修行をしました。その人は、大雨で機械が浸かってしまい、今はもう農業を辞めてしまったのですが、大事なきっかけを与えてもらいました。私はノウハウもわかってきて、機械も中古品やもらいものでそろってきたので、一人で続けることにしたんです。

-仕事の日の、一日のスケジュールを教えてください。
季節によって全然違って、冬場は結構ゆっくりです。朝は野菜が凍ってカチカチになっているので、溶け始める10時くらいから収穫に入ります。それから袋詰めをしてAコープへ出荷に行き、戻ってから次の作物の準備や土を耕したりします。冬は日が短いので、午後4時くらいには作業を終えて家に戻ります。
春や夏はいそがしくなりますね。米作りが始まるとハウスでの苗作りや、田んぼの代掻き作業がほぼ毎日続きます。それに加えて野菜の定植時期も重なるので、畝を立ててマルチを張って、苗を植えて……。田んぼと野菜が同時進行なので、段取りを考えて調整しながらやっています。田植えが落ち着いたら、草刈りをしたり獣害対策の支柱を立てたりして、野菜が大きくなってきたら収穫です。
夏野菜は成長が早いので、良い頃合いを逃さないように収穫時期になると朝から晩まで作業します。朝は早くて5時くらいから、夕方も私の畑は周りよりも遅くまで日が当たるので、7時くらいまで続ける時もありますね。一人でやっているので、自分の気分に合わせて「ここまでやったら明日は休みにしよう」と自由に決められるのが良いところだと思っています。

生活の土壌を耕す地元住民の思いと、守りたい太田の暮らし。
-息抜きや趣味などはありますか?
こっちに来てからすぐに始めたのがフラダンスです。幼稚園の子から上は80代まで、幅広い世代の生徒さんが30人くらい集まって練習しています。普段の私は農作業で泥まみれになっていますが、フラダンスの時は綺麗な衣装を着て、メイクもしっかりして、ウィッグをつけて、爪もキラキラさせたりとかして、全然違う世界にいるのでそのギャップも楽しんでいます。
あとは、農家のおっちゃんたちと飲みながら「今年の稲の出来具合はどんな感じか?」とか、「いつ頃稲刈り始めるんや」とか、そんな話をすることですかね。前職もおっちゃんばっかりだったので、気兼ねなく話せて面白いんです。
ほかには以前、農家仲間たちと「畑でカレーを作って食べたい」と盛り上がったことがありました。ジャガイモとかの食材はその場で掘って、お肉は猟師免許のある人が猪肉を持ってきてくれたりして、動画も撮ってYouTubeにもあげてるんですよ(笑)。
-狩野さんから見て、太田での暮らしや移住についてはどのように感じていますか?
家賃も安いし、その気になれば自給自足もできるので、生活するには田舎はすごくいいと思います。あと、人口が少ないこともあって、地元の人たちはみんな人との関わりを求めていると思います。特に若い人や違う世代の人との交流を望んでるんじゃないかな。
たとえば、移住者や地域おこし協力隊の方たちに対して、地域の人も最初は「どんな人なんやろう」と様子を見ます。そして、だんだん仲良くなってきたら「大根持っていき」とか「何か困ったことないか?」と、少しずつ関わりを深めていく感じです。でも時には、地域の風習に馴染めなかったり、また地域の方がうまく寄り添えなかったりして、中々定住するまでに至らないこともあります。私たちの今後の課題です。

-最後に、ご自身と太田地区の今後について考えていることを教えてください。
今後、過疎化が進む地域で後継ぎをどうするかなども考えています。後を継いで農業をしながら、この地域を守ってくれるような人に出会えたらいいんですけどね。自分の生活もままならない状態なので雇って育てることも難しく、お金の代わりに野菜やお米で等価交換するような仕組みができないかなと考えていますが、なかなか難しい課題です。以前から「半農半X」っていうスタイルが注目されていますが、今度大阪で講演会があるので参加してみようと思っています。
20年、30年後のことを考えると「どうなるんだろう」と不安にもなりますが、太田は意外と人気があるみたいで、移住や別荘のために家を探している人も結構いるみたいです。この先も今のような感じで、程よい距離感に民家があって、のどかな暮らしができるのが理想かなと思います。