堀良子

堀良子

暮らし方は都会暮らしが全てではない。子供に見せたい自分の姿を目指して、地域おこし協力隊として、移住しました。

那智勝浦町に移住してくる前までは、東京生まれ、東京育ちの堀良子(ほりりょうこ)さん。高校卒業後に短大を卒業し、一度は就職した後やりたいことをやらねば思い立ち、移住フェスティバルに参加。実際に那智勝浦町を訪れた際に感じた「ここに移住してみたい」という直感を信じ、移住を決意しました。

2021年夏に東京から那智勝浦町に地域おこし協力隊として移住をしてきた堀良子(ほりりょうこ)さん。今回は、子育てがひと段落したタイミングで移住を決めた堀さんに、移住の経緯や那智勝浦で暮らす想いをお聞きしました。

自然と共存している人たちの暮らしに衝撃。自分の暮らしとのギャップが。

ーなぜ移住しようと思ったのですか?

親が広島出身だったから、小さい頃によく福山と尾道の親戚のところに遊びに行っていたんだよね。その親戚の人がお寺に嫁いでいたから、よく手伝いのために長く滞在していて、田舎の暮らしも少し体験していたのが移住したいと思った最初の原体験だったな、と思う。

大人になって専業主婦で子育てしていた中で、33歳くらいの時に乗馬を始めたんですよ。東京の大田区から神奈川の秦野まで車を飛ばして通ってて。(笑)通っているうちに、どうせ馬に乗るなら北海道に行きたいって思い始めて、ネットで探して札幌の乗馬クラブで3週間研修をしたのが人生の境目だったなー。

北海道に行ってみると、自然と共存している人の暮らしに衝撃を受けたんだよね。薪割りもできない自分がいて、秋の空がわからなくて、自分の人間力のなさを痛感してしまってさ。お母さんが裏山の樹液でシロップ作ったり、樹液のビール作ったり、レタスを取ってきてサラダ作ったり。家族で目指している暮らし、家族での生き生きとした暮らしが目の前に広がっていて、、、そんな暮らしを見ていると、今暮らしている東京での暮らしと、自分の理想の暮らしのギャップが大きいことに気がついたんだよね。だから、いつかはそういう生活をしたいな、と思うようになったな。

実際に移住を考え始めたきっかけは子どもが2人とも手が離れるようになったこと。

移住を考えていた矢先に移住フェスティバルをやっていたのが和歌山だったんだよね。鎌倉とか広島みたいなある程度リノベされたところではなく、地元の人がやっていて伝統があるところがいいな、と思っていた。

ー移住先候補ってたくさん出てくると思うのですが、どういうところに移住したいと思っていたのですか?

移住先の条件はね、、、天気が良くて気候がいいこと、人が陽気なこと、文化があって人の流れがあるところと決めていたんだ。旅行で来る人と交流ができれば、埋もれずに新しいこともできるしね。あとは、開発されすぎて新しいものに変わっていないところ が条件だった。フェスティバルに参加する中で、自分のプロフィールをまとめたりできたから、こういうのを考えるきっかけになっていたんだ。

3箇所くらい移住先の候補としてマッチングしたけど、たまたま那智勝浦にポチッとしてしまってた(笑)

那智勝浦には昔家族旅行できたことがあったけど、改めて1回行ってみようと思って、その年の暮れに来てみたんだよね。駅を降りてすぐ、5分で終わる商店街を抜けた時に、なぜかわからないけどゾクゾクしたんだよ。ここに移住してみたいな、と思った瞬間でしたね。

田舎と都会が繋がることでムーブメントが起きれば、日本はもっと豊かになる

ー実際に移住して、1年弱那智勝浦で暮らしてみてどうですか?

自分もいい年になった時に、今の自分の姿が子供に見せたい姿なのか?って思ってしまって。おばあちゃん家に行くのって、豊かな自然のあるところで〜っていう感覚があったんだよね。昔は食べ物も、暮らしも、自然の中でまかなっていたじゃん。

都会に住んでいたときは、スーパーには輸入品や加工品がたくさん並んでいて、そこで買い物もしていたけど、それに違和感があったんです。新鮮なものがなくなっているなって。日本ってこんな場所じゃなかったよなって。

今は、私がここに住んでいることで、友達や家族を呼んで、こういう自然の中での暮らしを見せれることもあると思っているんです。こっちに住んでいても、東京とかと繋がれたら地域の問題も解決できるかなって思ってます。そうすれば、自分の暮らしだけでなく、日本の中でいい循環ができるのかなってイメージしているんだよね。

暮らし方って都会暮らしが全てではないから、都会と暮らしの間でムーブメントができれば日本ってもっと豊かになると思っているんだ。だから色々な人に来てほしい。豊かなものを見せ合いっこして繋がっていけたらいいな、と本気で思っているよ。これからは地方の時代が来る、と本気で思っている。

ー地域おこし協力隊として那智勝浦に移住されたと思うのですが、どんなことをしているんですか?

地域おこし協力隊って地域によって違うんですよ。

私個人の在り方としては、太田の郷の活動のサポートが主な役割。1つは、太田の郷を継続的に活性化させること。2つ目は、太田地区の地域おこしをすることですね。やっていることが六次産業に繋がっていくことを望んでいますが、それだけでなく、地域にある資源をカタチにしていくことが大切だと思って活動しています。

どの切り口もあるし、最終的には繋がっていくのかなって。

元は地域の人の井戸端会議の場所にしたいという思いがあったんです。北海道での経験から、外からの人と地域の人の交流の場を作ってみたいなと。それが、移住のきっかけにもなると思うし、地域の人が地域以外の人に対するフィルターをとれるきっかけになるかなって。それができる場所の提供のために太田の郷で喫茶をやったりしています。

あとはね、関係人口構築の視点で、東京と太田を繋ぎたい。今の時代は仕事も生き方も様々な分野でボーダーレス。地産地消を地域内で高めることだけじゃなくて、地域外にも発信していって、選択肢が増えることで生活の豊かさに繋げられたら良いなって思ってる。この地域には豊かな農作物も、伝統の業や知恵、歴史もある。それに、熊野の聖地に惹かれて集まった面白い方が沢山いる。そんな有形無形のものと人、人と人を繋げて第2の故郷になるような関係を持てるきっかけ作りをしていきたいと思いながら日々アンテナを張り巡らしています。

仕組みは伝承できる。その仕組み作りをしたい

ー太田の郷で、麹を使った商品も作ろうとしていたりしますよね?それは良子さん自身が個人的にやりたくてやっていることなのですか?

麹を作りたいのではなく、麹を作ってくれる人が現れてほしいと思ってやっています。「あ、ここ米所だから麹作らない?」ってなったらいいと思っていて。麹っていいなっていう人が出てくるために、まずはこれ何?というきっかけを作っているんだよね。

伝承していってほしいけど、手仕事はずっとやってきている人には敵わないから、麹っていいよねっていう人が現れてくれたらいいな。

あと、流動食みたいなのを生産できるようになれば、高齢化社会になったときに自分達で作った米で麹作れるようになったらいいな、とかも考えている。そうすれば地産地消がまた広がるしね。それでまた仕事が増えたら、移住してくれる人が来てくれたりもしそう。

ー良子さんが那智勝浦でやりたいことはありますか?

自分の中での今のミッションは、繋げることと仕組みづくり。その仕組みに乗ってくれる人が出てきたら、継続的なものになっていくと思うんだ。商品を作ったらそれが売れるか売れないか、だけど、仕組みは継承できる。別のものに置き換えもできるから、すごく価値があることだと思っています。
自分だけじゃできないし、これに共感してくれた人が、自分の知らないところで新しいものが生まれたり、考えや仕組みが別のところに転がっていってくれたらいいな。

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